治療院ストーリー

幼少期~小学生

1988年5月12日に群馬大学付属病院で誕生。姉と2人兄弟で従姉妹が5人全員女子の女系の中、大間々町の街が見えないほどの不便すぎる山の中で育ちました。

小学校までも急な登りがいくつもある3キロの道のりを毎日1時間かけて歩いて登校していました、、、(;´Д`)

泣き虫で女の子としか遊んだことのない幼児期、この時期だけで海の波にのまれしばらく行方不明になり死にかけたこと、橋の上で頭から落ち数センチ横には大きな石があったこと、2度も本気で死にかけた経験のある過去。

山奥で育ち、父親のアウトドアな性格のおかげか動くことやスポーツは大好きで、この頃から縁あってレスリングを始めました。

小学生になってからも野球に水泳に陸上と、なんでも動きたい性格でした。

野球 水泳

 中高生

レスリング大間々中学校に入学してからは新しくできた友人に誘われ入部したバスケットに夢中になりました。

友人たちは皆経験者なので、初心者の自分が中学からバスケットを始めるには結構な経験値の差があり、ついていくのがやっとでした。1年の頃はほとんどコートにも立てずひたすらステージの上の幕に向かってシュートの練習。コートに立てたとしても基礎練習とパス出しばかりで、大変な時間を経験していました。更には友達と遊ぶ暇を犠牲にしてまでレスリングと並行して部活、塾の勉強と体と脳に汗をかく毎日。ちなみ中学までは7キロの道のりを自転車で往復、、、朝練から夜の遅い習い事まで、、家にいる時間は限られていました。

日々の努力が実を結んだのか、諦めない精神でバスケはどんどん上達でき、2年の冬にはたった1度きりですが、県大会で優勝してしまいました!その時のスタメンは(経験者2人初心者3人 チームは総員9人)

バスケットを知っている方なら想像できるかと思いますが、この状況下で県優勝できるのは奇跡であり、伝説級の結果となりました。

おかげさまで県選抜の最終選考まで選ばれましたが、経験値不足と身長の低さで落とされてしまいました、、、、かなり悔しい想い出です。

高校に入学してからはレスリングを引退し、樹徳高校にスポーツ推薦でバスケットボール部に入部し、公立進学コースのKクラスで文武両道を目指し奮闘していました。

バスケットボールしかし、当時先輩方は高校県№1の実力で全国でも結果を出せるチーム。中学からでは中々経験者には追いつけずメンバー落ちをしたりとスランプ。更に元々頭が良くなく進学クラスの勉強についていけない環境に焦りとパニックに陥り、どうしたら良いのかわからなくなり親の前で大号泣&発狂。

自分のふがいなさを初めて痛感させられた大挫折を迎えた時期でした。

どうにもこうにも逃げようがない環境だったのでなんとかふてくされることなく大きな壁を自分で乗り越えていきました。

高校2年時にはすでにスタメンを獲得し、チームとしても3年の新人戦では県2位で関東大会出場まで昇りつめました!その頃からバスケットを通してケガが多く自分の体に興味を持ち始めた結果、公立進学受験を取りやめ専門職の大学へ進学を決意しました!

 大学時代

右も左もわからないまま必死に勉強して帝京平成大学へ一人上京し入学。1年目は千葉の市原で基礎を学び、2年次からは都内の池袋キャンパスへ移動。都会の誘惑に目もくれず4年間真面目に勉強し他の資格も3つほど取得しつつ、年に一度の国家試験に一発合格!そしてやっと治療家へのスタートラインに立てました。

写真は大学でのフットサルサークルでの1枚です。緑のシャツが私です

 

 修行時代

師匠である埼玉県富士見市鶴瀬にある花谷接骨院との出逢いは、大学3年次に住まい周辺の院のHPを見てここなら自分の理想に近い方向性で学べることが多いのではないか。と直感で求人もしていない中、強引に面接をお願いしたのがご縁の始まりでした。

まだまだ世間知らずで、面接の時にチノ短パンと黒のポロシャツで訪問して、師匠に社会人としての常識のなさを指摘されたのを今でも覚えています(笑)

しかしながら、自分の熱意と師匠と似たような境遇もあってか、なんとか飛び込みでしたが採用していただきました!そこからが、地獄の修行の始まりでした、、、、(;´Д`) (今となっては感謝しかないほどの環境で地獄とは全く思っておりません!)

修行時代田舎育ちで何かあればすぐに親に頼ってきた今までの甘い人生。師匠に出逢えたおかげで仕事面だけでなく、礼儀から社会勉強、仕事への向き合い方、家族や人との向き合い方、足りない多くを学び、人としても大きく成長させていただきました。

決して楽な8ではありませんでしたが、この期間は人生においてとても大きな濃い修行期でした。

毎日のように朝7:30~夜10:30頃まで缶詰状態で、診療後から筋トレしたり居残り特訓をして、、、

休日は師匠のセミナーサポート、都内へのセミナー参加、先輩との出来の差を痛感させられる毎日、、、

本当に色んな経験をさせてもらい開業後の今に役立っています!

また、現在埼玉県東松山市にあるいがらし整骨院の五十嵐先生は先輩にあたり、専門学校を首席で卒業する頭の良さで、自身にはない考え方を常に持っており、ものの見方や視点・思考を広げていただき成長の糧として常にそばで面倒を見て下さいました。

五十嵐先生もまた、弱い自分を支えてくれた大切なひとりで、一生師匠と先輩には恩を返し切らない想いです。

 卒業・ふるさとへ

親も反対はしなかったものの経済的な面や上京、自営という未知の世界、周りに医療系の職種がいるわけでもない環境を考えると心の中では普通に進学してほしいと思っていたのではないかと思います。その気持ちもあったので中途半端な気持ちではなく30歳前には地元に戻って開業して立派な姿をみせてやる!と高校卒業時には心に強く決めていました。

卒業する1年前は、埼玉で修業しながら、毎週のように車で2時間車を走らせ地元に戻り、物件探し、開業計画、業者打ち合わせ、地元近隣散策、情報集め、と必死に動き回り、修行先を卒業してからほとんど休むことなく1ヶ月も経たないうちにバタバタして、、、、

おぐら接骨院そして、2017年1月17日に念願の地元みどり市に戻り地元大間々町の隣町である笠懸町でおぐら接骨院を開院させることができました!

ここからが新たなスタートラインであり、少しでも早くご縁ある皆様の健康にお役に立てるよう日々精進していく所存です。

これからも末永く宜しくお願い致します。

おぐら接骨院 受付時間

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0277-46-6770

〒379-2312 群馬県みどり市笠懸町久宮192-21
阿左美駅より車で5分、岩宿駅より車で9分

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